2009年11月10日
ビューラー
マキアージュのビューラーが事故を起こしていることがわかり、114万個自己回収することになったという。
僕の最も恐れていたことが起きた。
まったく気の毒という気持ちと同時に、ざまあみろという気がしないでもないが、この「ビューラーに関する敵意」というものは、いったい何なのだろう。自分でもわからない。
写真を調べることがあり、この10年間に撮した写真を見直した。
この10年は普段はデジカメで撮っているから、いや、「デジタルカメラ」と言わなくてはいけない。そのデジタルカメラで撮っているから、みんなiPhotoに入っている。
それを見ていたら、「死んだ人」がたくさん写っていた。この10年間に僕の前にいたことがあったけど、この10年間に死んだ人だ。
僕もきっともうすぐ死ぬ。
みんなきっともうすぐ死ぬ。
明日かもしれないし、2年後かもしれない。
もしかしたら30年後かもしれないけど、人の大きな歴史から考えれば「もうすぐ」のようなものだ。
もうすぐ死ぬ人が、偉そうなことを言ってはいけない。
どうせもうすぐ死ぬ人が、人の上に立とうなんて思ってはいけない。
僕の最も恐れていたことが起きた。
まったく気の毒という気持ちと同時に、ざまあみろという気がしないでもないが、この「ビューラーに関する敵意」というものは、いったい何なのだろう。自分でもわからない。
写真を調べることがあり、この10年間に撮した写真を見直した。
この10年は普段はデジカメで撮っているから、いや、「デジタルカメラ」と言わなくてはいけない。そのデジタルカメラで撮っているから、みんなiPhotoに入っている。
それを見ていたら、「死んだ人」がたくさん写っていた。この10年間に僕の前にいたことがあったけど、この10年間に死んだ人だ。
僕もきっともうすぐ死ぬ。
みんなきっともうすぐ死ぬ。
明日かもしれないし、2年後かもしれない。
もしかしたら30年後かもしれないけど、人の大きな歴史から考えれば「もうすぐ」のようなものだ。
もうすぐ死ぬ人が、偉そうなことを言ってはいけない。
どうせもうすぐ死ぬ人が、人の上に立とうなんて思ってはいけない。
2009年11月09日
動物園
夕飯を食べていたら、急におしりが痛くなった。それから膝から下が痛くなり、体がサワサワしてきた。
これは風邪の兆候だ。インフルエンザかもしれない。薬を飲んだ。この薬は絶対的に信頼している薬で、早く飲めば風邪はまず治る。
布団を敷いてもらい、みんなとは離れた部屋で早く寝ることにした。足首が痛い。
夢を見た。
僕は自分の部屋の掃除をしている。部屋中に土砂が大量に溜まっていて、ものすごく汚い。蝋かなにかが何カ所にも流れたようで、床にこびりついている。
掃除機が置いてあるんだけど、とても吸いきれる量ではない。僕はまず箒で土や砂をかき集めた。それから蝋のようなものを剥がし取ることにした。
パレットナイフがあったので使ってみたけど、そんなものではとても取れない。ナイフが曲がってしまう。
厚いへらを見つけてそれで厚く固まった蝋を剥がしていった。何人かが手伝ってくれた。
そうしているうちに、どんどん掃除が進み、気が付いたら部屋もバラバラになって、そこには何も無くなってしまった。
「あ、掃除をしすぎて部屋が無くなってしまった!」僕は焦った。
「どうしたんだ」近くで工事をしていた人だろうか、屈強な男達が集まってきた。
「掃除をしすぎて、ほら、何もなくなってしまったんです」と僕は言った。見てみると、横の道路に柱や壁の残骸がある。柱には「西」とか壁には「東」とか墨で印が書いてある。
手伝って貰い、僕は部屋を組み立てる事にした。でも、どうも材料が足りない。さっきゴミの収集車が来たから、大事な部材を捨ててしまったのかもしれない。
床と天井の材料がない。部屋が出来たとしても土間のままになってしまう。地面は平らではないから床を張るにしても、床を支える柱の高さを調整するのが大変そうだ。
僕は、部屋を組立直すことが出来るかどうか不安だ。どうしてこんなことになってしまったんだろう。
そこで目が覚めた。風邪が悪い感じがそんなにしなかった。しばらく布団の中に居たけど、起き出して少し仕事をした。
そしてまた寝た。また夢を見た。
僕は上野動物園の入口で切符を買おうとしていた。前にいる若い女の子が、切符売り場の人と何か押し問答をしている。その女の子は午前中通っていた英語学校で同じクラスだったから、顔を知っている。今時珍しい茶色い毛布のような長いコートを着ている。
女「母がパスを持っているんです。だから入れてください」
係「だけどパスは本人しか入れないのです」
女「どうしてですか。母がパスをもっているんです」
どうも、女の子の母親が動物園の年間入場パスかなんかをもっていて、女の子はそれを理由に動物園に入れて欲しいと言っているようだ。
係「それで、パスはどれですか?」
女「今はもっていません。だけど本当に母が持っているんです」
園長が出てきた。
園長「困りましたねえ。パスが無ければ入場はできないんですよ」
女「母がパスをもっているんです」
後ろで順番を待っていた僕は聞いているうちにイライラしてきた。僕はそのパスの説明書きに「このパスは記名してある当人だけが使用できる」という文章があったのを知っていた。
僕「あのさあ、パスが無ければ入れないんだよ。パスには記名してある当人だけだ使用できるとちゃんと書いてあるんだよ!」
女「(泣きながら)どうしてですか、母がパスを持っているんです。入れてください」
さんざんそんなことを言い合っているうちに僕は面倒になってきた。
僕「じゃあ、今日は僕がお金を出してあげるから、それで入りなよ。入場料はいくらだろう? 君は中学生なのかな?」
女「いえ、高校生です」
入場料の看板を見ると、中学生200円、大人380円とある。高校生は大人料金なんだ。
まあいいやと思って、僕は380円を女の子に渡した。
そして、僕もパスが欲しくなったので園長さんに言った。「パスをください。いくらですか?」
園長は3000円だと言う。そしてパスの売場はここではなく、ちょっと離れた所だという。
女の子が「あ、あたしが買ってきてあげます」と言った。入場料を出してあげたから、パスを買ってきてくれるというのだろう。僕は女の子に1万円札を渡した。
しばらくして女の子がパスとお釣りを持って来た。お釣りは千円札3枚しかない。
僕「おかしいじゃないか、お釣りは7000円のはずだ!」
女「わかりません。お釣りはこれだけです。これだけだったんです」
なんて女だ。僕はその女の両肩をガッシリと抱きしめ捕まえて、逃げないようにした。
女は「知りません。お釣りはそれだけだったんです」と言って僕から逃げようとする。
僕は逃げられては困ると思い、二人で争いながらああだこうだ言って揉み合っている。園長は困ったような顔で見ている。
目が覚めた。風邪は良くなっているようだ。
これは風邪の兆候だ。インフルエンザかもしれない。薬を飲んだ。この薬は絶対的に信頼している薬で、早く飲めば風邪はまず治る。
布団を敷いてもらい、みんなとは離れた部屋で早く寝ることにした。足首が痛い。
夢を見た。
僕は自分の部屋の掃除をしている。部屋中に土砂が大量に溜まっていて、ものすごく汚い。蝋かなにかが何カ所にも流れたようで、床にこびりついている。
掃除機が置いてあるんだけど、とても吸いきれる量ではない。僕はまず箒で土や砂をかき集めた。それから蝋のようなものを剥がし取ることにした。
パレットナイフがあったので使ってみたけど、そんなものではとても取れない。ナイフが曲がってしまう。
厚いへらを見つけてそれで厚く固まった蝋を剥がしていった。何人かが手伝ってくれた。
そうしているうちに、どんどん掃除が進み、気が付いたら部屋もバラバラになって、そこには何も無くなってしまった。
「あ、掃除をしすぎて部屋が無くなってしまった!」僕は焦った。
「どうしたんだ」近くで工事をしていた人だろうか、屈強な男達が集まってきた。
「掃除をしすぎて、ほら、何もなくなってしまったんです」と僕は言った。見てみると、横の道路に柱や壁の残骸がある。柱には「西」とか壁には「東」とか墨で印が書いてある。
手伝って貰い、僕は部屋を組み立てる事にした。でも、どうも材料が足りない。さっきゴミの収集車が来たから、大事な部材を捨ててしまったのかもしれない。
床と天井の材料がない。部屋が出来たとしても土間のままになってしまう。地面は平らではないから床を張るにしても、床を支える柱の高さを調整するのが大変そうだ。
僕は、部屋を組立直すことが出来るかどうか不安だ。どうしてこんなことになってしまったんだろう。
そこで目が覚めた。風邪が悪い感じがそんなにしなかった。しばらく布団の中に居たけど、起き出して少し仕事をした。
そしてまた寝た。また夢を見た。
僕は上野動物園の入口で切符を買おうとしていた。前にいる若い女の子が、切符売り場の人と何か押し問答をしている。その女の子は午前中通っていた英語学校で同じクラスだったから、顔を知っている。今時珍しい茶色い毛布のような長いコートを着ている。
女「母がパスを持っているんです。だから入れてください」
係「だけどパスは本人しか入れないのです」
女「どうしてですか。母がパスをもっているんです」
どうも、女の子の母親が動物園の年間入場パスかなんかをもっていて、女の子はそれを理由に動物園に入れて欲しいと言っているようだ。
係「それで、パスはどれですか?」
女「今はもっていません。だけど本当に母が持っているんです」
園長が出てきた。
園長「困りましたねえ。パスが無ければ入場はできないんですよ」
女「母がパスをもっているんです」
後ろで順番を待っていた僕は聞いているうちにイライラしてきた。僕はそのパスの説明書きに「このパスは記名してある当人だけが使用できる」という文章があったのを知っていた。
僕「あのさあ、パスが無ければ入れないんだよ。パスには記名してある当人だけだ使用できるとちゃんと書いてあるんだよ!」
女「(泣きながら)どうしてですか、母がパスを持っているんです。入れてください」
さんざんそんなことを言い合っているうちに僕は面倒になってきた。
僕「じゃあ、今日は僕がお金を出してあげるから、それで入りなよ。入場料はいくらだろう? 君は中学生なのかな?」
女「いえ、高校生です」
入場料の看板を見ると、中学生200円、大人380円とある。高校生は大人料金なんだ。
まあいいやと思って、僕は380円を女の子に渡した。
そして、僕もパスが欲しくなったので園長さんに言った。「パスをください。いくらですか?」
園長は3000円だと言う。そしてパスの売場はここではなく、ちょっと離れた所だという。
女の子が「あ、あたしが買ってきてあげます」と言った。入場料を出してあげたから、パスを買ってきてくれるというのだろう。僕は女の子に1万円札を渡した。
しばらくして女の子がパスとお釣りを持って来た。お釣りは千円札3枚しかない。
僕「おかしいじゃないか、お釣りは7000円のはずだ!」
女「わかりません。お釣りはこれだけです。これだけだったんです」
なんて女だ。僕はその女の両肩をガッシリと抱きしめ捕まえて、逃げないようにした。
女は「知りません。お釣りはそれだけだったんです」と言って僕から逃げようとする。
僕は逃げられては困ると思い、二人で争いながらああだこうだ言って揉み合っている。園長は困ったような顔で見ている。
目が覚めた。風邪は良くなっているようだ。
2009年11月07日
ロンリー・ローラー
僕の車には「ミュージックボックス」というのがついていて、かけたCDは全部そのまま録音してくれる。
こないだあるアルバムを録音していたら「ミュージックボックスがいっぱいです」という表示が出た。いらない曲を消去しなさいということらしい。236枚のアルバムが入っているとのこと。
聴きたくてかけているんだからいらない曲なんか無いんだけど、しょうがないからビートルズのアルバムを全部消去した。
ビートルズはこの半年ばかりほとんど車では聴いていない。
何曲かは聴きたくなくのもあるんだけど、アルバムを全部聴くかというと、どうもそういう気にはなれない。
最近聴いているのはヴァージンVSの「ロンリー・ローラー」とか関種子の「雨に咲く花」とか、人にはとても言えない演歌歌謡曲のたぐいばかり。シロコロホルモンとか富士宮やきそばの世界。
仕事をしているときも、そういう曲ばかりかけている。
昔ある展覧会のオープニングで、当時有名だった(今も有名だけど)ある彫刻家と一緒になったんだけど、その人が仕事場で石原裕次郎の歌をガンガンかけていると聞いて、驚いたことがある。愕然と言うかビックリした。
でも今考えれば、その人は若いときに裕次郎の歌を聴いていたんだろう。そういう曲が「身に染みついて」いたのだろう。
仕事をするとき、何も考えずに車に乗っているとき、別に音楽の勉強するわけではないんだから難しい曲を聴く必要もない。今さら新しい音楽を仕入れる気もしない。ほかに仕入れなければいけないものはあるんだし。誰に気をつかう必要もない。
しかし、フォーク・クルセダーズの「紀元貳千年」は聴き直してみると名盤だ。「オーブル街」なんて、あの当時良く作ったと思う。
それから「ロンリー・ローラー」も名曲だ。
松井はとても偉い選手だと思うけどNHKのトップニュースでやる必要はないと思うけど。
こないだあるアルバムを録音していたら「ミュージックボックスがいっぱいです」という表示が出た。いらない曲を消去しなさいということらしい。236枚のアルバムが入っているとのこと。
聴きたくてかけているんだからいらない曲なんか無いんだけど、しょうがないからビートルズのアルバムを全部消去した。
ビートルズはこの半年ばかりほとんど車では聴いていない。
何曲かは聴きたくなくのもあるんだけど、アルバムを全部聴くかというと、どうもそういう気にはなれない。
最近聴いているのはヴァージンVSの「ロンリー・ローラー」とか関種子の「雨に咲く花」とか、人にはとても言えない演歌歌謡曲のたぐいばかり。シロコロホルモンとか富士宮やきそばの世界。
仕事をしているときも、そういう曲ばかりかけている。
昔ある展覧会のオープニングで、当時有名だった(今も有名だけど)ある彫刻家と一緒になったんだけど、その人が仕事場で石原裕次郎の歌をガンガンかけていると聞いて、驚いたことがある。愕然と言うかビックリした。
でも今考えれば、その人は若いときに裕次郎の歌を聴いていたんだろう。そういう曲が「身に染みついて」いたのだろう。
仕事をするとき、何も考えずに車に乗っているとき、別に音楽の勉強するわけではないんだから難しい曲を聴く必要もない。今さら新しい音楽を仕入れる気もしない。ほかに仕入れなければいけないものはあるんだし。誰に気をつかう必要もない。
しかし、フォーク・クルセダーズの「紀元貳千年」は聴き直してみると名盤だ。「オーブル街」なんて、あの当時良く作ったと思う。
それから「ロンリー・ローラー」も名曲だ。
松井はとても偉い選手だと思うけどNHKのトップニュースでやる必要はないと思うけど。
2009年11月04日
NHK
人間ドックに行った。いろいろ問題が発見された。どうしよう。
それはそれとして、そこの病院は待合室の高いところに薄型テレビが設置してあり、いつも「世界の車窓から」の映像を流していた。(たぶんそうだと思う。あの番組を編集して商品化したものだと思う。)
僕はそれをとても気に入っていた。
何をするでもなく名前を呼ばれるのを待っている時、本を読むのも良いけれど、なにも考えず「世界の車窓から」を見ているのは気持ちが落ち着いて良かった。病院として良い選択だと思っていた。
今日その病院に行ったら、テレビから「国会予算委員会中継」が流れている。
ああそうか、首相の献金問題もあるし、与野党攻守所を代えた攻防と言うことでNHKをやっているんだと思ってテレビの横を見ると「患者様から要望があり、平成21年7月よりNHKを放映することといたしました。ご理解といただきたく云々」と張り紙がしてあった。
それで、「世界の車窓から」を流していたのに変わったんだと状況を「ご理解」した。あれ良かったのに。
誰が要望を出したか知らないけど「あんな電車の窓からの風景よりも、NHKを見たい」と言った人がいるんだろう。何人もいたのかな。
それで病院としては「患者様の要望だから変更しよう」となったのだろう。
しかし「世界の車窓から」のほうが良かったなあと思っている人もきっと多くいるはずだ。僕もそうだし。
でも僕はそういう事を病院に言ったりはしない。「世界の車窓から」を好む人は「これ良いなあ」と黙って思って見ていて、それがNHKに代わったら「残念だなあ、あれ良かったに」と黙って思っているだけだと思う。
それに対してNHKを好む人は「あんなのではなくNHKにしてください」とはっきり言うのだろう。そういう人がNHKを好むものだ。
どこにでも、世の中にはいろんな意見があるということを分からずに、自分の意見をはっきりと言う人がいる。そしてそういう人は自分が正しいと思っている。
そして、そういう人は他のみんなが黙っているものだから、やっぱり自分は正しかったんだと思う。「世界の車窓から」を見ることが出来なくなって、悲しい思いをしている人のことなんか思いもつかないのだろう。なんたって、NHKが好きなんだから。今日なんか「おお、予算委員会をやっている。こういうものを見なければいかん」とか思っているんだろう。
そういうことを考えて僕はイライラしてきた。そして待合室をながめ回して「どいつがNHKを見たいと病院に言ったんだ!」と思った。しかしみんなそんな素振りをみせずに黙って座っている。
みんな病気でつらい思いをして我慢して来ているのに、なんでよりによって予算委員会なんか見なけりゃいけないんだろう。
でも、誰かが言ったんだ。「NHKが見たい」と。
どうして誰かが言っただけで僕が楽しみにしていた「世界の車窓から」が無くなってしまうんだ。どうして、僕は無視されてしまったんだ。
「ふざけるんじゃない!! 僕は『世界の車窓から』を見たいんだ〜!!」と待合室の真ん中で叫んだら、どういうことになるだろう。
看護師が大勢飛んできて「あなたの言うことは正しいです。私たちもそう思っていたのです!」と言ってくれるだろうか。
そして「患者様から要望があったので『世界の車窓から』を再び放映することといたしました」という張り紙を作ってくれるだろうか。
それはそれとして、そこの病院は待合室の高いところに薄型テレビが設置してあり、いつも「世界の車窓から」の映像を流していた。(たぶんそうだと思う。あの番組を編集して商品化したものだと思う。)
僕はそれをとても気に入っていた。
何をするでもなく名前を呼ばれるのを待っている時、本を読むのも良いけれど、なにも考えず「世界の車窓から」を見ているのは気持ちが落ち着いて良かった。病院として良い選択だと思っていた。
今日その病院に行ったら、テレビから「国会予算委員会中継」が流れている。
ああそうか、首相の献金問題もあるし、与野党攻守所を代えた攻防と言うことでNHKをやっているんだと思ってテレビの横を見ると「患者様から要望があり、平成21年7月よりNHKを放映することといたしました。ご理解といただきたく云々」と張り紙がしてあった。
それで、「世界の車窓から」を流していたのに変わったんだと状況を「ご理解」した。あれ良かったのに。
誰が要望を出したか知らないけど「あんな電車の窓からの風景よりも、NHKを見たい」と言った人がいるんだろう。何人もいたのかな。
それで病院としては「患者様の要望だから変更しよう」となったのだろう。
しかし「世界の車窓から」のほうが良かったなあと思っている人もきっと多くいるはずだ。僕もそうだし。
でも僕はそういう事を病院に言ったりはしない。「世界の車窓から」を好む人は「これ良いなあ」と黙って思って見ていて、それがNHKに代わったら「残念だなあ、あれ良かったに」と黙って思っているだけだと思う。
それに対してNHKを好む人は「あんなのではなくNHKにしてください」とはっきり言うのだろう。そういう人がNHKを好むものだ。
どこにでも、世の中にはいろんな意見があるということを分からずに、自分の意見をはっきりと言う人がいる。そしてそういう人は自分が正しいと思っている。
そして、そういう人は他のみんなが黙っているものだから、やっぱり自分は正しかったんだと思う。「世界の車窓から」を見ることが出来なくなって、悲しい思いをしている人のことなんか思いもつかないのだろう。なんたって、NHKが好きなんだから。今日なんか「おお、予算委員会をやっている。こういうものを見なければいかん」とか思っているんだろう。
そういうことを考えて僕はイライラしてきた。そして待合室をながめ回して「どいつがNHKを見たいと病院に言ったんだ!」と思った。しかしみんなそんな素振りをみせずに黙って座っている。
みんな病気でつらい思いをして我慢して来ているのに、なんでよりによって予算委員会なんか見なけりゃいけないんだろう。
でも、誰かが言ったんだ。「NHKが見たい」と。
どうして誰かが言っただけで僕が楽しみにしていた「世界の車窓から」が無くなってしまうんだ。どうして、僕は無視されてしまったんだ。
「ふざけるんじゃない!! 僕は『世界の車窓から』を見たいんだ〜!!」と待合室の真ん中で叫んだら、どういうことになるだろう。
看護師が大勢飛んできて「あなたの言うことは正しいです。私たちもそう思っていたのです!」と言ってくれるだろうか。
そして「患者様から要望があったので『世界の車窓から』を再び放映することといたしました」という張り紙を作ってくれるだろうか。
2009年11月02日
水の中
夢を見た。
僕は水の中を歩いていた。ある時は魚のように泳いでいた。
水の中は青く澄んでとてもきれいだった。そして少し暗かった。
僕は、ゆっくり水を吸っては吐いていた。鼻から大きく体中に水を吸い込み、そして息苦しいことは無かった。
僕は、体の中を歩いて行った。鼻から水を肺いっぱいに吸い込んで、どうして苦しくないのか不思議だった。隣の人が、体にはもともと酸素が蓄えられているので、それを使っているので苦しくないのだと教えてくれた。
歩いて行くとぽっかり明るい大きな穴があいている所があった。覗いてみるとたくさんの魚がゆっくりとそこを回って泳いでいる。しばらく見ていたら、左上から大きな魚がやってきた。マンタだ。巨大なマンタだ。
僕は、体に蓄えられている酸素の量が気になってきた。そうしたら、少しずつ苦しさが感じられるようになった。
僕は水の中から出ることにした。ゆっくりと水面へ上がっていく。
僕は空を飛んでいた。農村を爆撃する戦闘機の記録映像にように、麦や背の高い草に覆われた畑や草原を、超低空で飛んでいく。
道に沿い、丘に沿い、地表面を撫でるように飛んでいる。
僕は、飛行機そのものなのかもしれない。思ったように体は飛んでいく。植物の緑がとってもきれいだ。
電車に乗っていたらゴルフ週刊誌の中吊りがあった。「奇跡の練習メニュー」「真横に動いたらぶっとんだ!」「素振りなしで出たらベストスコアが出た!」「傾斜力をあげて本番に強くなる」・・・・
こういう週刊誌を毎週読んでいるのだろうか。
ほかにやることはないのか。
録画しておいた「フォーク・クルセダーズ・再結成解散コンサート」を見た。
「加藤和彦は音楽を変えた」とあちこちに書いてあって、そうだったっけなあと思っていたけど、コンサートの様子を見ていていろいろ思い出した。
確かに加藤和彦たち当時の若者は音楽をそして時代を変えた。
でもそれは、時代が変わる大きな変動の時に、多くの若者が立ち会い参加していたというべきだろう。
いつだって若者は時代を変えたいと思っているのかもしれない。
でもその後、変わってくれる時代は現れなかったし、若者も変えるべき時代を見つけることが出来なかった。
時代を変えたということが出来たのは吉田拓郎の世代で終わりだろう。
その後は、荒井由美もサザン・オールスターズも、ユニコーンも、ミスチルも時代を変えてはいない。音楽ビジネスを変えることはできたかもしれないが。エイベックスもしかり。
民主党も時代を変えることはできないだろう。
もう時代は変わらない。
時代が変わるということは制度が変わりモラルが変わるという事だ。
もはや変えるべき制度もないし、モラルに基準も持ち得ない。
日本がめざす方向が無ければ時代を変えようがない。
キム・ヨナと安藤美姫が優勝を争って日本中が熱狂する知れないが、日本はその間にもしだいに崩壊していく。
僕は水の中を歩いていた。ある時は魚のように泳いでいた。
水の中は青く澄んでとてもきれいだった。そして少し暗かった。
僕は、ゆっくり水を吸っては吐いていた。鼻から大きく体中に水を吸い込み、そして息苦しいことは無かった。
僕は、体の中を歩いて行った。鼻から水を肺いっぱいに吸い込んで、どうして苦しくないのか不思議だった。隣の人が、体にはもともと酸素が蓄えられているので、それを使っているので苦しくないのだと教えてくれた。
歩いて行くとぽっかり明るい大きな穴があいている所があった。覗いてみるとたくさんの魚がゆっくりとそこを回って泳いでいる。しばらく見ていたら、左上から大きな魚がやってきた。マンタだ。巨大なマンタだ。
僕は、体に蓄えられている酸素の量が気になってきた。そうしたら、少しずつ苦しさが感じられるようになった。
僕は水の中から出ることにした。ゆっくりと水面へ上がっていく。
僕は空を飛んでいた。農村を爆撃する戦闘機の記録映像にように、麦や背の高い草に覆われた畑や草原を、超低空で飛んでいく。
道に沿い、丘に沿い、地表面を撫でるように飛んでいる。
僕は、飛行機そのものなのかもしれない。思ったように体は飛んでいく。植物の緑がとってもきれいだ。
電車に乗っていたらゴルフ週刊誌の中吊りがあった。「奇跡の練習メニュー」「真横に動いたらぶっとんだ!」「素振りなしで出たらベストスコアが出た!」「傾斜力をあげて本番に強くなる」・・・・
こういう週刊誌を毎週読んでいるのだろうか。
ほかにやることはないのか。
録画しておいた「フォーク・クルセダーズ・再結成解散コンサート」を見た。
「加藤和彦は音楽を変えた」とあちこちに書いてあって、そうだったっけなあと思っていたけど、コンサートの様子を見ていていろいろ思い出した。
確かに加藤和彦たち当時の若者は音楽をそして時代を変えた。
でもそれは、時代が変わる大きな変動の時に、多くの若者が立ち会い参加していたというべきだろう。
いつだって若者は時代を変えたいと思っているのかもしれない。
でもその後、変わってくれる時代は現れなかったし、若者も変えるべき時代を見つけることが出来なかった。
時代を変えたということが出来たのは吉田拓郎の世代で終わりだろう。
その後は、荒井由美もサザン・オールスターズも、ユニコーンも、ミスチルも時代を変えてはいない。音楽ビジネスを変えることはできたかもしれないが。エイベックスもしかり。
民主党も時代を変えることはできないだろう。
もう時代は変わらない。
時代が変わるということは制度が変わりモラルが変わるという事だ。
もはや変えるべき制度もないし、モラルに基準も持ち得ない。
日本がめざす方向が無ければ時代を変えようがない。
キム・ヨナと安藤美姫が優勝を争って日本中が熱狂する知れないが、日本はその間にもしだいに崩壊していく。
2009年10月31日
トライアウト
Yahooのニュースを見ていたら「日本女子プロ野球機構(GPBL、片桐諭代表)は30日、来春開幕するリーグの合同トライアウトを開いた」んだそうだ。トライアウトってなんだろう?
記事のどこを読んでみても「トライアウト」とは何かということは書いてない。
いろいろ読んでいるうちにイライラしていて、女子プロ野球は、もう何があっても今後絶対に見ない!ということに決めてしまった。
なんと心が狭いんだろうか。偏屈というか頑固というかひねくれているというか。
週刊誌を読んでいたら、女優の三大ヘビースモーカーは「黒木瞳、松たか子、小雪」なんだそうだ。全然知らなかった。そんな感じしないのに。
黒木瞳ってヘビースモーカーなんだ。
人というのは、印象と実体は全然違う。「へー、全然知らなかった」というのが人の本当の性格というものだ。
僕は、これからきっと、どんどん偏屈に頑固に了見が狭くかたくなになっていくのだろう。何に対してもイライラし、文句をブツブツと言い続けるだろう。
でもきっと僕はそういうことを表には出さない。温厚と物静かだけでなんとか生きてきた人間だからそういうことはひた隠しにして生きる。
だけどある時一気にそれらが爆発する。叫ぶのか走り回るのか投げ飛ばすのか叩き割るのか知らないけど。
「ギャ〜〜〜〜〜〜! 死ねぇ〜〜〜!」とか言ったりして。
そしてみんなは言う。
「そういう人だったんだ。全然知らなかった。あぶない人だったんだ」
僕が悪いんじゃない。トライアウトが悪いんだ。
記事のどこを読んでみても「トライアウト」とは何かということは書いてない。
いろいろ読んでいるうちにイライラしていて、女子プロ野球は、もう何があっても今後絶対に見ない!ということに決めてしまった。
なんと心が狭いんだろうか。偏屈というか頑固というかひねくれているというか。
週刊誌を読んでいたら、女優の三大ヘビースモーカーは「黒木瞳、松たか子、小雪」なんだそうだ。全然知らなかった。そんな感じしないのに。
黒木瞳ってヘビースモーカーなんだ。
人というのは、印象と実体は全然違う。「へー、全然知らなかった」というのが人の本当の性格というものだ。
僕は、これからきっと、どんどん偏屈に頑固に了見が狭くかたくなになっていくのだろう。何に対してもイライラし、文句をブツブツと言い続けるだろう。
でもきっと僕はそういうことを表には出さない。温厚と物静かだけでなんとか生きてきた人間だからそういうことはひた隠しにして生きる。
だけどある時一気にそれらが爆発する。叫ぶのか走り回るのか投げ飛ばすのか叩き割るのか知らないけど。
「ギャ〜〜〜〜〜〜! 死ねぇ〜〜〜!」とか言ったりして。
そしてみんなは言う。
「そういう人だったんだ。全然知らなかった。あぶない人だったんだ」
僕が悪いんじゃない。トライアウトが悪いんだ。
2009年10月29日
ブーツ
眠れない。睡眠導入剤を飲んでもあまり効かない。早くあの事件の真相を知りたい。
最近ブーツを履いて歩いている女の人が多い。街で売っているブーツは前から見ることが多いけど、街で見かけるブーツは後ろから見ることが多い。たぶん前から見ると、その女の人とぶつかってしまうからだろう。
そういうとき、その女の人はどういうふうにして、そのブーツを買ったんだろうと考える。まあ、店で買ったには違いないけど、欲しいなあ欲しいなあ、陽菜ちゃんも履いてるし明奈ちゃんも履いてるしあたしも欲しいなあ欲しいなあと思って買ったのだろうか。
ブーツを買う場合二つの立場がある。一つは「私にはブーツが必要だ。よし買おう」と買う場合。もう一つは「欲しいなあ欲しいなあ」と思って買う場合だ。
前者の場合には、
1、ブーツが必要だと自覚する。
2、どのようなブーツが自分には合っているのか冷静に判断する。
3、どこに行けばそのブーツが売っているか検討する。
4、店に行き購入を実行する。
という手筈になる。きっぱりとしている。
後者の場合には、
1、陽菜や明奈がブーツを履いているのを見る。
2、あたしも陽菜ちゃんや明奈ちゃんみたいなブーツが欲しいなあと思う。
3、ブーツが欲しいなあ欲しいなあと何日も考える。
4、ファッション雑誌かなんか見てあたしにはどんなブーツが似合うのか考えに考える。
5、店に行って迷いに迷う。無意識のうちに口元に指なんか持っていったりする。
6、店の店員に「それすっごくかわいいですよ−」かなんか言われて「これにしまーす」とか言って買う。
というような手筈になるのだけれど、それはとても恥ずかしい事だと思う。
昔だったら、「おかあさま、幸子のお願い聞いてくださる?」「なあに幸子ちゃん」「わたしブーツが欲しいの。敏江さんも茂子さんも履いてお出かけしていらっしゃるのよ。わたしもああいうブーツを履いてみたいの」「でも幸子ちゃんのご病気はまだ良くなっていないって先生もおっしゃっていたでしょう」「うん、そうだけど、わたしもご病気が治ったらブーツを履いてお出かけしても良いかしら?」「もちろんそうしてよくってよ」「おかあさま、嬉しい、わたし、あ、ゴホッ、ゴホッ!」「あ、幸子ちゃんどうしたの、あ、口から血が!」
ということで幸子はボンネット型の救急車で郊外の結核療養所に運ばれ、数日後に死んでしまうのだけれど、現在はとても良く効く抗生物質があるからブーツが欲しい女の子もたとえ結核にかかっても死ぬことはなく、店に行ってブーツを買うことができる。
でも死ななかっただけで、「おかあさま、幸子はブーツが欲しいの」と同じ世界で、これは恥ずかしい事でではないだろうか。一見そうは見えなくても無防備に欲望をあからさまに公開している。
別に女の人がブーツを買うことを非難しているわけではなくて、これは例でありまして、男にも、僕にも当てはまる。
僕が新しいiPodを欲しくて「欲しいなあ欲しいなあ、僕、iPodが欲しいなあ。岡田も持っているし菅も持っているし」と思ったとしたら、それは恥ずかしい。そういう意識から消費は始まるのだろうけど「欲しいなあ、欲しいなあ」という気持ちがチラとでも自覚されたらもうそれは良くない。ましてや人に知られたら恥ずかしい。
1、自分にはiPodが必要だ。その理由はこれこれだ。
2、アップルストアに行って実物を見て検討する。
3、ある日店に行って、迷うことなく「これを下さい」とだけ言って購入する。
というさっぱりして毅然とした態度が最も望ましい。
アップルストアでもらったiPodのパンフレットをベッドの枕元に置いて「欲しいなあ欲しいなあ」なんて見ている姿を人に知られてしまったらもうおしまいだ。
消費ということはとても恥ずかしいことだ。
最近ブーツを履いて歩いている女の人が多い。街で売っているブーツは前から見ることが多いけど、街で見かけるブーツは後ろから見ることが多い。たぶん前から見ると、その女の人とぶつかってしまうからだろう。
そういうとき、その女の人はどういうふうにして、そのブーツを買ったんだろうと考える。まあ、店で買ったには違いないけど、欲しいなあ欲しいなあ、陽菜ちゃんも履いてるし明奈ちゃんも履いてるしあたしも欲しいなあ欲しいなあと思って買ったのだろうか。
ブーツを買う場合二つの立場がある。一つは「私にはブーツが必要だ。よし買おう」と買う場合。もう一つは「欲しいなあ欲しいなあ」と思って買う場合だ。
前者の場合には、
1、ブーツが必要だと自覚する。
2、どのようなブーツが自分には合っているのか冷静に判断する。
3、どこに行けばそのブーツが売っているか検討する。
4、店に行き購入を実行する。
という手筈になる。きっぱりとしている。
後者の場合には、
1、陽菜や明奈がブーツを履いているのを見る。
2、あたしも陽菜ちゃんや明奈ちゃんみたいなブーツが欲しいなあと思う。
3、ブーツが欲しいなあ欲しいなあと何日も考える。
4、ファッション雑誌かなんか見てあたしにはどんなブーツが似合うのか考えに考える。
5、店に行って迷いに迷う。無意識のうちに口元に指なんか持っていったりする。
6、店の店員に「それすっごくかわいいですよ−」かなんか言われて「これにしまーす」とか言って買う。
というような手筈になるのだけれど、それはとても恥ずかしい事だと思う。
昔だったら、「おかあさま、幸子のお願い聞いてくださる?」「なあに幸子ちゃん」「わたしブーツが欲しいの。敏江さんも茂子さんも履いてお出かけしていらっしゃるのよ。わたしもああいうブーツを履いてみたいの」「でも幸子ちゃんのご病気はまだ良くなっていないって先生もおっしゃっていたでしょう」「うん、そうだけど、わたしもご病気が治ったらブーツを履いてお出かけしても良いかしら?」「もちろんそうしてよくってよ」「おかあさま、嬉しい、わたし、あ、ゴホッ、ゴホッ!」「あ、幸子ちゃんどうしたの、あ、口から血が!」
ということで幸子はボンネット型の救急車で郊外の結核療養所に運ばれ、数日後に死んでしまうのだけれど、現在はとても良く効く抗生物質があるからブーツが欲しい女の子もたとえ結核にかかっても死ぬことはなく、店に行ってブーツを買うことができる。
でも死ななかっただけで、「おかあさま、幸子はブーツが欲しいの」と同じ世界で、これは恥ずかしい事でではないだろうか。一見そうは見えなくても無防備に欲望をあからさまに公開している。
別に女の人がブーツを買うことを非難しているわけではなくて、これは例でありまして、男にも、僕にも当てはまる。
僕が新しいiPodを欲しくて「欲しいなあ欲しいなあ、僕、iPodが欲しいなあ。岡田も持っているし菅も持っているし」と思ったとしたら、それは恥ずかしい。そういう意識から消費は始まるのだろうけど「欲しいなあ、欲しいなあ」という気持ちがチラとでも自覚されたらもうそれは良くない。ましてや人に知られたら恥ずかしい。
1、自分にはiPodが必要だ。その理由はこれこれだ。
2、アップルストアに行って実物を見て検討する。
3、ある日店に行って、迷うことなく「これを下さい」とだけ言って購入する。
というさっぱりして毅然とした態度が最も望ましい。
アップルストアでもらったiPodのパンフレットをベッドの枕元に置いて「欲しいなあ欲しいなあ」なんて見ている姿を人に知られてしまったらもうおしまいだ。
消費ということはとても恥ずかしいことだ。
2009年10月28日
携帯電話
ケイタイと言ってはいけない。あれは携帯電話。
いろいろ事情があって携帯電話の番号を変えたくて、それなら機種も新しくしようかとDoCoMoの店に行ってみた。
久しぶりに行ったら値段の高いこと。なんでこんなに高いんだろう。
でも、なんか裏の理由のあるすごく安いものを買うより、高くても正当な価格のものを買う方が、日本経済には喜ばしいという意見もあるから、これで良いのだろうか。
だいたい僕はカメラとか携帯電話とかコンピュータとかそういう機器が大好きなもので、本当に必要なのかはよく考えてみると疑わしい。
その昔、厭なことがあると、そういうものを買って心を紛らわせていた時期がある。今もそうだったりして。
こないだヨドバシカメラに行ったら、ものすごく混んでいた。
ヨドバシは僕の好きな店の一つで、そこに居るだけで幸せな気分になる。そこにあるのは僕のものではないのだけれど。
でも、エスカレーターを降りながらよく考えたら、この大きな店にある商品のほとんどは、生活に絶対に必要なものではない。日本のどこが不況なのだろう。
それで、その携帯電話だけれど、Fを使っているからFの新機種にしようかと思っている。だけどカメラが800万メガピクセル。そんなに必要だろうか。
すごい!800万ピクセル!とか思って写してみると、写真は細かく写っていても、色調とかコントラストとか安っぽかったりするものだ。でもそれにした。
いつもカメラを持ち歩くのは面倒だから、これで何かの時には写真が撮れるだろう。大きな事故現場に遭遇したとか、トイレに入ったら誰かが首を吊っていたとか、ツキノワグマがこっちに向かって突進してきたとか、東京駅の16番線ホームで知り合いの会社の専務が和服の女性と抱き合っていたとか。
でも、結局「ちゃんとしたカメラじゃないとやっぱり駄目だよなあ」と思うのは、わかっているんだけど。
で、「遼くん」だけど、僕は別に「石川遼」が嫌いなわけではない。
だけど、なにかおかしいと思う。現実とは思えない。何か大きなものに騙されているような気がする。
まあ、EXILEが奉祝の歌を歌うほどおかしくはないが。あれは奇異だ。
しかし、僕が理解できないだけなのかもしれない。僕は心がかたよっているから。
ほかにも理解できないものといえばいろいろある。
「小悪魔風サラダ」とか「ハロウィン」とか「石橋貴明」とか「よしもと水族館」とか「オーラの泉」とか、あとなんだ。
電車の中で、一生懸命化粧をしている女の人がいた。
以前ならけして隣には座らなかったけれど、最近は心が広くなったのか、隣に座った。
本を読みながら目の端で感じるところでは、ビューラーを使っているようだ。
電車が大きくガタンと揺れてビューラーを持つ手にぐっと力が加わり、上瞼と眼球の間にビューラーが深く深く突き刺さってしまい「ギャー!」とのけぞって獣のような咆哮をを上げ、どうしたどうしたと周囲の人が不審な目で見る中を立ち上がって、膝から化粧ポーチを落とし化粧道具を電車の床に散乱させ、「目が目が・・・」と言いながらふらふらとビューラーが突き刺さったままの目から血を流し、つり革が見えないもんだから泳ぐようにして、あたり構わず手を差し出して歩くようになったらどうしたもんだろう、そうなったら本当に気の毒だ、僕は彼女のために何をしてあげられるのだろうと考えながら本を読んでいたけど、何事も起こらずいつまでも化粧をしている。
まあ、それもいいだろう。しかし僕はやはり電車の中での化粧はあまり好まない。
でも、もし息子がこういう女の人を「この子と結婚したい!」と連れてきたら、「どうしておまえはそういう不埒な考えを持つようになったんだ!そんな人間に育てた覚えは無い!今日限り勘当だ!」と息子をしかりつけ。「けがらわしい!」と言って玄関から雨の中へその女を蹴転ばし、仰向きに倒れたところを「思い知ったか!」と言って雨に濡れて膨れあがった下腹を思い切り下駄でぎゅうと踏みつけてやればいい、などとは考えない。
その女が川に落っこちて「助けてー!」と流れながら叫んでいるところに通りかかったら、「君こないだ電車で僕の隣でお化粧してなかったっけ?」と聞いて、「ああいうことはしないほうがいいと思うよ」とゆっくり遠くに流れて行って見えなくなるまで親切に人の生き方を諭してあげればいい、などとは想像しない。
冬の冷たい雪の夜、ランプの灯りの下で藁縄を撚って草鞋を作っているとき、「とんとん」と板戸をたたいて「なにか食べ物を恵んでください」と老婆になったその女が訪ねてきたときには「ああ、たしか40年前、あんたは、電車の中でわしの隣で化粧をしていたなあ。あんなに一生懸命してた化粧も、その年になっては何の意味もなかったなあ。悪いけど、あんたにあげるめしはないんじゃよ」と言って、パタンと板戸を閉めればいいなどとは夢見ない。
いろいろ事情があって携帯電話の番号を変えたくて、それなら機種も新しくしようかとDoCoMoの店に行ってみた。
久しぶりに行ったら値段の高いこと。なんでこんなに高いんだろう。
でも、なんか裏の理由のあるすごく安いものを買うより、高くても正当な価格のものを買う方が、日本経済には喜ばしいという意見もあるから、これで良いのだろうか。
だいたい僕はカメラとか携帯電話とかコンピュータとかそういう機器が大好きなもので、本当に必要なのかはよく考えてみると疑わしい。
その昔、厭なことがあると、そういうものを買って心を紛らわせていた時期がある。今もそうだったりして。
こないだヨドバシカメラに行ったら、ものすごく混んでいた。
ヨドバシは僕の好きな店の一つで、そこに居るだけで幸せな気分になる。そこにあるのは僕のものではないのだけれど。
でも、エスカレーターを降りながらよく考えたら、この大きな店にある商品のほとんどは、生活に絶対に必要なものではない。日本のどこが不況なのだろう。
それで、その携帯電話だけれど、Fを使っているからFの新機種にしようかと思っている。だけどカメラが800万メガピクセル。そんなに必要だろうか。
すごい!800万ピクセル!とか思って写してみると、写真は細かく写っていても、色調とかコントラストとか安っぽかったりするものだ。でもそれにした。
いつもカメラを持ち歩くのは面倒だから、これで何かの時には写真が撮れるだろう。大きな事故現場に遭遇したとか、トイレに入ったら誰かが首を吊っていたとか、ツキノワグマがこっちに向かって突進してきたとか、東京駅の16番線ホームで知り合いの会社の専務が和服の女性と抱き合っていたとか。
でも、結局「ちゃんとしたカメラじゃないとやっぱり駄目だよなあ」と思うのは、わかっているんだけど。
で、「遼くん」だけど、僕は別に「石川遼」が嫌いなわけではない。
だけど、なにかおかしいと思う。現実とは思えない。何か大きなものに騙されているような気がする。
まあ、EXILEが奉祝の歌を歌うほどおかしくはないが。あれは奇異だ。
しかし、僕が理解できないだけなのかもしれない。僕は心がかたよっているから。
ほかにも理解できないものといえばいろいろある。
「小悪魔風サラダ」とか「ハロウィン」とか「石橋貴明」とか「よしもと水族館」とか「オーラの泉」とか、あとなんだ。
電車の中で、一生懸命化粧をしている女の人がいた。
以前ならけして隣には座らなかったけれど、最近は心が広くなったのか、隣に座った。
本を読みながら目の端で感じるところでは、ビューラーを使っているようだ。
電車が大きくガタンと揺れてビューラーを持つ手にぐっと力が加わり、上瞼と眼球の間にビューラーが深く深く突き刺さってしまい「ギャー!」とのけぞって獣のような咆哮をを上げ、どうしたどうしたと周囲の人が不審な目で見る中を立ち上がって、膝から化粧ポーチを落とし化粧道具を電車の床に散乱させ、「目が目が・・・」と言いながらふらふらとビューラーが突き刺さったままの目から血を流し、つり革が見えないもんだから泳ぐようにして、あたり構わず手を差し出して歩くようになったらどうしたもんだろう、そうなったら本当に気の毒だ、僕は彼女のために何をしてあげられるのだろうと考えながら本を読んでいたけど、何事も起こらずいつまでも化粧をしている。
まあ、それもいいだろう。しかし僕はやはり電車の中での化粧はあまり好まない。
でも、もし息子がこういう女の人を「この子と結婚したい!」と連れてきたら、「どうしておまえはそういう不埒な考えを持つようになったんだ!そんな人間に育てた覚えは無い!今日限り勘当だ!」と息子をしかりつけ。「けがらわしい!」と言って玄関から雨の中へその女を蹴転ばし、仰向きに倒れたところを「思い知ったか!」と言って雨に濡れて膨れあがった下腹を思い切り下駄でぎゅうと踏みつけてやればいい、などとは考えない。
その女が川に落っこちて「助けてー!」と流れながら叫んでいるところに通りかかったら、「君こないだ電車で僕の隣でお化粧してなかったっけ?」と聞いて、「ああいうことはしないほうがいいと思うよ」とゆっくり遠くに流れて行って見えなくなるまで親切に人の生き方を諭してあげればいい、などとは想像しない。
冬の冷たい雪の夜、ランプの灯りの下で藁縄を撚って草鞋を作っているとき、「とんとん」と板戸をたたいて「なにか食べ物を恵んでください」と老婆になったその女が訪ねてきたときには「ああ、たしか40年前、あんたは、電車の中でわしの隣で化粧をしていたなあ。あんなに一生懸命してた化粧も、その年になっては何の意味もなかったなあ。悪いけど、あんたにあげるめしはないんじゃよ」と言って、パタンと板戸を閉めればいいなどとは夢見ない。
2009年10月25日
選挙
神奈川の参議院議員補選。迷いに迷って期日前投票に行った。
まったく投票する意志はなかったのだけれど、棄権というものはしたことはなかったし、してはいけないと思っているので。
先の衆議院選挙の時には、期日前投票所には長蛇の列で、「30分待ち」の状態だった。
土曜の夕方だったし、すごく並んでいるだろうなあと思って出かけてみたら、一人もいない。そのまま投票所内に入れる感じ。
誰に入れるか最後まで悩んでいたので、並びながら考えようと思っていたから、あわててしまった。
それで、まあ、投票したのだけれど、みんな知らない人だし、政見読んでもどうも意味ない気がしたし。実にいい加減な根拠で投票してしまった。
今日がホントの投票日だけれど、投票率は低いだろうなあ。30%台の低めと言ったところではないか。
選挙のあと食事に行ったら、わんわんうるさいグループが居る。
もう大声でしゃべりまくっている。後ろでしゃべっているから見えなかったんだけど、20歳ぐらいの人たちかと思った。
どういう人だと思って振り返って見たら30歳前後の4人のおばさんのグループ。
大きな声で話すというのでなく、叫びあっている感じ。
「それで、トシがこう言うのよ!」トシって誰だろう。
普通大人になってから知り合った人は呼び捨てにはしない。ということは、「トシ」は若いときからの知り合いだろう。「トシ」でその4人の中で通じ合っているんだから、「トシ」を含めた5人は、若いときからの知り合いなんだろう。
おそらく彼女らは10以上前から友達なんだろう。僕はそういうことを考えながらカキフライ定食と豆腐とチリメンのサラダを食べていた。
まあ、半分酔っ払っているんだろうけど、楽しいんだろうからいいか。
でも、近づいていって、「うるさあーーーーーーーーーーい!!」と叫んでやろうかと思った。
おばさんを直接批判をするということは、世の中で決してしてはいけない3つの行為の中の1つだが(あとの2つは、核兵器の使用と営利目的の誘拐)、それをしたい衝動にかられた。
でも、僕は、音に関して敏感すぎるのかもしれない。
しかし、僕と同じようにあるものを「うるさい」と感じている人もいることは確かだ。
僕が「うるさいなあ」と思ってそちらを見ると、僕と同じように「うるさいなあ」という目でそちらを見ている人がいるからそれはわかる。
そういう時は、一人で「うるさーーーーい!」と言いに行くのは怖いから、「あなたもうるさいと思いますか。一緒に行きましょう」と言おうかと思うけど、もしかしたらその人は、「いいなあ、私もあの人達と一緒に喋りたいなあ」と思っているかもしれないから、迂闊には誘えない。
それで選挙だけれど、誰が当選しても構わないという感じだ。1人以外は。
まあ、その1人は絶対に当選しないけど。
まったく投票する意志はなかったのだけれど、棄権というものはしたことはなかったし、してはいけないと思っているので。
先の衆議院選挙の時には、期日前投票所には長蛇の列で、「30分待ち」の状態だった。
土曜の夕方だったし、すごく並んでいるだろうなあと思って出かけてみたら、一人もいない。そのまま投票所内に入れる感じ。
誰に入れるか最後まで悩んでいたので、並びながら考えようと思っていたから、あわててしまった。
それで、まあ、投票したのだけれど、みんな知らない人だし、政見読んでもどうも意味ない気がしたし。実にいい加減な根拠で投票してしまった。
今日がホントの投票日だけれど、投票率は低いだろうなあ。30%台の低めと言ったところではないか。
選挙のあと食事に行ったら、わんわんうるさいグループが居る。
もう大声でしゃべりまくっている。後ろでしゃべっているから見えなかったんだけど、20歳ぐらいの人たちかと思った。
どういう人だと思って振り返って見たら30歳前後の4人のおばさんのグループ。
大きな声で話すというのでなく、叫びあっている感じ。
「それで、トシがこう言うのよ!」トシって誰だろう。
普通大人になってから知り合った人は呼び捨てにはしない。ということは、「トシ」は若いときからの知り合いだろう。「トシ」でその4人の中で通じ合っているんだから、「トシ」を含めた5人は、若いときからの知り合いなんだろう。
おそらく彼女らは10以上前から友達なんだろう。僕はそういうことを考えながらカキフライ定食と豆腐とチリメンのサラダを食べていた。
まあ、半分酔っ払っているんだろうけど、楽しいんだろうからいいか。
でも、近づいていって、「うるさあーーーーーーーーーーい!!」と叫んでやろうかと思った。
おばさんを直接批判をするということは、世の中で決してしてはいけない3つの行為の中の1つだが(あとの2つは、核兵器の使用と営利目的の誘拐)、それをしたい衝動にかられた。
でも、僕は、音に関して敏感すぎるのかもしれない。
しかし、僕と同じようにあるものを「うるさい」と感じている人もいることは確かだ。
僕が「うるさいなあ」と思ってそちらを見ると、僕と同じように「うるさいなあ」という目でそちらを見ている人がいるからそれはわかる。
そういう時は、一人で「うるさーーーーい!」と言いに行くのは怖いから、「あなたもうるさいと思いますか。一緒に行きましょう」と言おうかと思うけど、もしかしたらその人は、「いいなあ、私もあの人達と一緒に喋りたいなあ」と思っているかもしれないから、迂闊には誘えない。
それで選挙だけれど、誰が当選しても構わないという感じだ。1人以外は。
まあ、その1人は絶対に当選しないけど。
2009年10月23日
大声
脳の本を買って電車の中で読んでいるんだけど、昨日は加藤和彦の事が知りたくて、週刊新潮と週刊文春を買ってしまった。今日はバスを待つ間本屋に寄ったら、読んだことのない東海林さだおの文庫本があったので買ってしまった。
まったく読む本に脈絡がない。
しかし思うんだけど、どうして最近の若い人は、公衆の面前、人のいる場所で大声で喋るんだろうか。大声で笑うんだろうか。
「最近の若い奴らは」という言い方は、年寄りのワンパターンだというけれど、これは違うと思う。
以前は、そういう若い人はあまりいなかったと思う。まあ、おじさんおばさんだって公共の場で大声で話しているじゃないかと言われれば、そういうこともあるけど。
でも、少なくとも「大学生」は、今よりずっと寡黙だった。
夜の街で酔っ払って大声出す大学生はいたけど、昼間は寡黙だった。
さらにはっきり言えば「思考」している人は寡黙だった。
そして大学生は常に「思考」していた。それは「悩み」だったのかもしれないけど。
元気があるということと、うるさいと言うことは全く違う。
人がいるところで大声で話すものではないということは、「常識」あるいは「マナー」の問題だ。何故かと説明しようとすれば、それは理屈は言えるけど、そういう常識の無い人に理屈を言っても理解できないだろう。習慣化した肉体で理解出来ない。
それはおかしいと言うときには言うけれど、正直、はり倒したい。
でも暴力はいけないな、なにがあっても。
しかし、20過ぎまでそうやって育ってきてしまった人間に、話して通じるものだろうか?
まったく読む本に脈絡がない。
しかし思うんだけど、どうして最近の若い人は、公衆の面前、人のいる場所で大声で喋るんだろうか。大声で笑うんだろうか。
「最近の若い奴らは」という言い方は、年寄りのワンパターンだというけれど、これは違うと思う。
以前は、そういう若い人はあまりいなかったと思う。まあ、おじさんおばさんだって公共の場で大声で話しているじゃないかと言われれば、そういうこともあるけど。
でも、少なくとも「大学生」は、今よりずっと寡黙だった。
夜の街で酔っ払って大声出す大学生はいたけど、昼間は寡黙だった。
さらにはっきり言えば「思考」している人は寡黙だった。
そして大学生は常に「思考」していた。それは「悩み」だったのかもしれないけど。
元気があるということと、うるさいと言うことは全く違う。
人がいるところで大声で話すものではないということは、「常識」あるいは「マナー」の問題だ。何故かと説明しようとすれば、それは理屈は言えるけど、そういう常識の無い人に理屈を言っても理解できないだろう。習慣化した肉体で理解出来ない。
それはおかしいと言うときには言うけれど、正直、はり倒したい。
でも暴力はいけないな、なにがあっても。
しかし、20過ぎまでそうやって育ってきてしまった人間に、話して通じるものだろうか?
2009年10月22日
疲れる
疲れきっている。
もう、心も体もがたがた。
勝間和代や茂木健一郎や齊藤孝のように元気になれない。ポジティブになれない。
断る力を持ったり自転車で買物に行ったりしないからだろうか。あらゆる事を脳に結びつけて考えたり思い出したようにシューベルトを聴いたりしないからだろうか。声を出して本を読んだり1分間で大切なことを伝えたりしないからだろうか。
勝間和代の本を読んだり茂木健一郎の本を読んだり齊藤孝の本を読んだりしないからだろうか。これらの人がテレビに出てくるとチャンネルを変えてしまうからだろうか。
あまりに疲れていて、電車の中でも車の中でも、目をつぶるとそのまま眠ってしまっている。
夢を見た。
僕は何かの面接の面接官をしている。何の面接かは分からない。
「はい、次の方どうぞ」
一人の男の人が入ってくる。
その男は、腰から下にジャワ更紗のような大きな布を巻いて、足は裸足で、黒い半袖のTシャツのようなものを着ている。
何の面接かは定かではないのだけれど、ミュージカル「南太平洋」のリメーク版のオーディションとか、アジアンキッチンのスタッフの面接ではない限り、まあ普通ではない。面接にこういう格好で来るということ自体理解出来ない。
話をしているうちに、その男が「私は宇宙人の存在は信じます」と言った。
僕はうーんと考えてから「僕は信じませんね」と言った。
その男はみるみる血相を変え「絶対に宇宙人はいるんです」と言う。
そう言われるとこっちもいないと思っているんだから「いないと思います」と答える。
僕と一緒に面接をしているもう一人の面接官が、隣から「あまりそういう事に話を持って行かない方が良いんじゃないの」と困ったように言う。
僕も困ったなあと思いつつ、その不思議な男とにらみ合っている。
もう、心も体もがたがた。
勝間和代や茂木健一郎や齊藤孝のように元気になれない。ポジティブになれない。
断る力を持ったり自転車で買物に行ったりしないからだろうか。あらゆる事を脳に結びつけて考えたり思い出したようにシューベルトを聴いたりしないからだろうか。声を出して本を読んだり1分間で大切なことを伝えたりしないからだろうか。
勝間和代の本を読んだり茂木健一郎の本を読んだり齊藤孝の本を読んだりしないからだろうか。これらの人がテレビに出てくるとチャンネルを変えてしまうからだろうか。
あまりに疲れていて、電車の中でも車の中でも、目をつぶるとそのまま眠ってしまっている。
夢を見た。
僕は何かの面接の面接官をしている。何の面接かは分からない。
「はい、次の方どうぞ」
一人の男の人が入ってくる。
その男は、腰から下にジャワ更紗のような大きな布を巻いて、足は裸足で、黒い半袖のTシャツのようなものを着ている。
何の面接かは定かではないのだけれど、ミュージカル「南太平洋」のリメーク版のオーディションとか、アジアンキッチンのスタッフの面接ではない限り、まあ普通ではない。面接にこういう格好で来るということ自体理解出来ない。
話をしているうちに、その男が「私は宇宙人の存在は信じます」と言った。
僕はうーんと考えてから「僕は信じませんね」と言った。
その男はみるみる血相を変え「絶対に宇宙人はいるんです」と言う。
そう言われるとこっちもいないと思っているんだから「いないと思います」と答える。
僕と一緒に面接をしているもう一人の面接官が、隣から「あまりそういう事に話を持って行かない方が良いんじゃないの」と困ったように言う。
僕も困ったなあと思いつつ、その不思議な男とにらみ合っている。
2009年10月21日
チョッキ
ダイヤ型の格子のチョッキが好きだ。
できたら、赤と白の互い違いの色になっているやつが。
スーパーでそういうチョッキを着ている奥さんかなんかがいると、その後をついて行きたくなるほどだ。
そういう奥さんがいたので、僕はその後をついて行く。スーパーを出て並木通りを抜け住宅地に入っていく。
僕はチョッキが好きなのだから、僕の関心は奥さんではなく、あくまでそのチョッキだ。
奥さんの家の玄関先で、僕はドアの鍵を開けようとしている奥さんの背後から声をかける。
「そのチョッキ、素敵ですねえ。僕はそういうの大好きです」
奥さんは、「あら、そうですか、とても嬉しいですわ」と言ってくれるかと思ったら、はっと驚いたように僕を振り返り、「あ、あなたは誰ですか?」と震える声で言う。
「僕は、そういうチョッキが大好きなんです」と僕は、そのチョッキを見つめながら言う。
奥さんは「キャーッ!」という大声を上げる。そんな声出さなくてもいいのに。
何だ何だと、隣のおじさんが顔を出す「奥さん! どうしたんですか!」
「あ、あやしい人がっ! 変な人がいるんですう!」奥さんはなおも叫ぶ。
あちこちから人が出てきて揉み合いになる。そのうちパトカーが到着して、僕は警官に羽交い締めさされる。
「何もしてません! 何も悪いことはしてません!」と僕は言うんだけど、両側からガッシリと警官に抱えられたまま、僕はパトカーの後部座席に乗せられてしまった。
警察署について取り調べ室で、僕は警官にいろいろ聞かれる。
「それで、あんたはなんであの奥さんについて行ったわけ。あんた、自分のやったことがわかってくるの?」 警官が言う。
「僕はあのダイヤの格子のチョッキが好きだったから、ついて行ったんです」僕は答える。
警官「それがおかしいのよ。普通そんなことしないでしょ。あんた、何か悪いこと企んで居たんじゃないの?」
僕「何も悪いことなんか考えていません。僕が好きなのは、あのチョッキだけです。あそこで見失ったら、こんどいつ見ることができるかわからないから、ついて行ってしまったんです」
警官「ほら、それがおかしいのよ。そんなに見たいんなら、自分で買えばいいじゃない。そうしたらいつだってみられるでしょ」
僕「でも、ああいうチョッキって、そんなに売ってないんです。ピカソが絵に描いてるけど」
警官「ピカソなんかどうでもいいの! あんたは犯罪を犯してるんだよ!」
僕「僕は犯罪なんかおかしてません・・・(泣く)」
そこへダイヤの格子のチョッキをピチピチに着た、屈強な警官が部屋に入ってくる。
別の警官「ほら、あんたの好きなのってこれかい」
僕「ああ、それです。それです」
僕はその陶然とした目をしてその屈強な警官にしがみつく。
警官と別の警官「うーん。少なくとも普通の犯罪者ではなさそうだなあ」
やっとわかってもらえたようだ。
できたら、赤と白の互い違いの色になっているやつが。
スーパーでそういうチョッキを着ている奥さんかなんかがいると、その後をついて行きたくなるほどだ。
そういう奥さんがいたので、僕はその後をついて行く。スーパーを出て並木通りを抜け住宅地に入っていく。
僕はチョッキが好きなのだから、僕の関心は奥さんではなく、あくまでそのチョッキだ。
奥さんの家の玄関先で、僕はドアの鍵を開けようとしている奥さんの背後から声をかける。
「そのチョッキ、素敵ですねえ。僕はそういうの大好きです」
奥さんは、「あら、そうですか、とても嬉しいですわ」と言ってくれるかと思ったら、はっと驚いたように僕を振り返り、「あ、あなたは誰ですか?」と震える声で言う。
「僕は、そういうチョッキが大好きなんです」と僕は、そのチョッキを見つめながら言う。
奥さんは「キャーッ!」という大声を上げる。そんな声出さなくてもいいのに。
何だ何だと、隣のおじさんが顔を出す「奥さん! どうしたんですか!」
「あ、あやしい人がっ! 変な人がいるんですう!」奥さんはなおも叫ぶ。
あちこちから人が出てきて揉み合いになる。そのうちパトカーが到着して、僕は警官に羽交い締めさされる。
「何もしてません! 何も悪いことはしてません!」と僕は言うんだけど、両側からガッシリと警官に抱えられたまま、僕はパトカーの後部座席に乗せられてしまった。
警察署について取り調べ室で、僕は警官にいろいろ聞かれる。
「それで、あんたはなんであの奥さんについて行ったわけ。あんた、自分のやったことがわかってくるの?」 警官が言う。
「僕はあのダイヤの格子のチョッキが好きだったから、ついて行ったんです」僕は答える。
警官「それがおかしいのよ。普通そんなことしないでしょ。あんた、何か悪いこと企んで居たんじゃないの?」
僕「何も悪いことなんか考えていません。僕が好きなのは、あのチョッキだけです。あそこで見失ったら、こんどいつ見ることができるかわからないから、ついて行ってしまったんです」
警官「ほら、それがおかしいのよ。そんなに見たいんなら、自分で買えばいいじゃない。そうしたらいつだってみられるでしょ」
僕「でも、ああいうチョッキって、そんなに売ってないんです。ピカソが絵に描いてるけど」
警官「ピカソなんかどうでもいいの! あんたは犯罪を犯してるんだよ!」
僕「僕は犯罪なんかおかしてません・・・(泣く)」
そこへダイヤの格子のチョッキをピチピチに着た、屈強な警官が部屋に入ってくる。
別の警官「ほら、あんたの好きなのってこれかい」
僕「ああ、それです。それです」
僕はその陶然とした目をしてその屈強な警官にしがみつく。
警官と別の警官「うーん。少なくとも普通の犯罪者ではなさそうだなあ」
やっとわかってもらえたようだ。
叫び 加藤和彦 自民党
午前3時に自分で「ギャー!」と叫んで目が覚めた。
日本刀で正面から突き刺される夢をみて叫んでしまった。あまりに大きな声だったから、ご近所にも聞こえたかも知れない。「何かあったみたいです」とかいって、110番されてしまうかもしれない。
いつも、死ぬ時がきたら、全てをあきらめて黙って死んでいこう、と思っているけど、そういうわけには行かないかも知れない。
臨死体験を「研究」したキュブラー・ロスは、物静かに死に対して対峙していて、静かに死んでいくと言っていたけど、いざ自分に死期が訪れたら、ものすごく取り乱してみっともなかったそうだ。
せめて僕は、「知人の女性」に電話でさりげなく告げて、ちゃんと印刷した遺書を用意して、だまって首を吊って死んでいこう。
日本刀で刺されたら「ギャー!」と叫んでしまうかも知れないけど、自分で浴室で首を吊るなら「ギャー!」とは叫ばないだろう。
一度帝国ホテルの喫茶室で、加藤和彦に出会ったことがある。やたら背が高くて、見たこともないような不思議なパンツをはいていて、老成して「おじいさん」のようだった。
好きな人だった。サディスティック・ミカ・バンドは理解出来なかったけれど。
自民党は、あっという間に「野党」になってしまった。
それにしても自民党の総裁を谷垣さんにしたのは、間違いだったのではないだろうか。
自民党というのは、好き嫌いを別にしても、とにかくしぶとく力があった。
この人がダメなら、この人をというように、次から次に人材がでてきた。悪い奴も多かったけれど。
総選挙の敗北は、せっかく自民党を立て直す機会だったのに、よりにもよって谷垣さんの「みんなでやろうぜ」では、すべて自民党の内輪の事情の問題で、みんながなんで自民党を支持しなかったのかという事への答えになっていない。
自民党が再び民主党と拮抗する力を持つのに10年かかるとか言われているけど、総裁に谷垣さんがなったことでさらに10年遅れたのではないだろうか。
「あ、これはもうだめだ」と国民に知らしめたようなものだと思う。
とにかく、何の魅力もエネルギーも感じられない。
日本刀で正面から突き刺される夢をみて叫んでしまった。あまりに大きな声だったから、ご近所にも聞こえたかも知れない。「何かあったみたいです」とかいって、110番されてしまうかもしれない。
いつも、死ぬ時がきたら、全てをあきらめて黙って死んでいこう、と思っているけど、そういうわけには行かないかも知れない。
臨死体験を「研究」したキュブラー・ロスは、物静かに死に対して対峙していて、静かに死んでいくと言っていたけど、いざ自分に死期が訪れたら、ものすごく取り乱してみっともなかったそうだ。
せめて僕は、「知人の女性」に電話でさりげなく告げて、ちゃんと印刷した遺書を用意して、だまって首を吊って死んでいこう。
日本刀で刺されたら「ギャー!」と叫んでしまうかも知れないけど、自分で浴室で首を吊るなら「ギャー!」とは叫ばないだろう。
一度帝国ホテルの喫茶室で、加藤和彦に出会ったことがある。やたら背が高くて、見たこともないような不思議なパンツをはいていて、老成して「おじいさん」のようだった。
好きな人だった。サディスティック・ミカ・バンドは理解出来なかったけれど。
自民党は、あっという間に「野党」になってしまった。
それにしても自民党の総裁を谷垣さんにしたのは、間違いだったのではないだろうか。
自民党というのは、好き嫌いを別にしても、とにかくしぶとく力があった。
この人がダメなら、この人をというように、次から次に人材がでてきた。悪い奴も多かったけれど。
総選挙の敗北は、せっかく自民党を立て直す機会だったのに、よりにもよって谷垣さんの「みんなでやろうぜ」では、すべて自民党の内輪の事情の問題で、みんながなんで自民党を支持しなかったのかという事への答えになっていない。
自民党が再び民主党と拮抗する力を持つのに10年かかるとか言われているけど、総裁に谷垣さんがなったことでさらに10年遅れたのではないだろうか。
「あ、これはもうだめだ」と国民に知らしめたようなものだと思う。
とにかく、何の魅力もエネルギーも感じられない。
2009年10月20日
ラーメン 香山リカ
久しぶりに本屋に行った。
前に買った池田晶子の本が、どうにも読み続けられない。
つまらないというのではなく、重すぎて読めない。生きると言うことは何か、死ぬと言うことは何か。そういう事を考えるというのはわかるし、自分でいつも考えているが、池田晶子の意見を聞くのはつらい。
まあ、ここに座りなさい。私が生きることと死ぬことについて、話をしてあげます、と言われてもそこに座っていること自体がつらい。
本屋では、ラーメン本2冊と「今評判のうまい店600店2010年版」と脳の本を買った。
「今評判の・・・」は毎年買っている。ベッドの中で夜寝る前に読もう。だけど、新しい店が次々に出来ていて紹介されているんだけど、そういう所には、あまり行く気がしない。
脳の本は、茂木健一郎の本ではない。ましてや苫米地英人の本ではない。あのお二人の本は読まないと決めている。読んだこともないけど。
ついでに言えば、齊藤孝の本も読まないと決めている。
まともな学者や物書きが大量の本を書けるわけがない。何か大量に書けるシステムがあるとしてもそうやって本を出すという事が、正常とは思えない。なにかおかしい。
というわけで、香山リカもおかしいと思っていたんだけど、勝間和代と香山リカの対談を読んで、香山リカはまともな感覚を持っている人だと思った。まあ、相対的なものかも知れないけど。
前に買った池田晶子の本が、どうにも読み続けられない。
つまらないというのではなく、重すぎて読めない。生きると言うことは何か、死ぬと言うことは何か。そういう事を考えるというのはわかるし、自分でいつも考えているが、池田晶子の意見を聞くのはつらい。
まあ、ここに座りなさい。私が生きることと死ぬことについて、話をしてあげます、と言われてもそこに座っていること自体がつらい。
本屋では、ラーメン本2冊と「今評判のうまい店600店2010年版」と脳の本を買った。
「今評判の・・・」は毎年買っている。ベッドの中で夜寝る前に読もう。だけど、新しい店が次々に出来ていて紹介されているんだけど、そういう所には、あまり行く気がしない。
脳の本は、茂木健一郎の本ではない。ましてや苫米地英人の本ではない。あのお二人の本は読まないと決めている。読んだこともないけど。
ついでに言えば、齊藤孝の本も読まないと決めている。
まともな学者や物書きが大量の本を書けるわけがない。何か大量に書けるシステムがあるとしてもそうやって本を出すという事が、正常とは思えない。なにかおかしい。
というわけで、香山リカもおかしいと思っていたんだけど、勝間和代と香山リカの対談を読んで、香山リカはまともな感覚を持っている人だと思った。まあ、相対的なものかも知れないけど。
2009年10月18日
正論
勝間和代と村上世彰は似ている。
理屈は確かにあっているという、その「正論」において。
自信が表情に出ているというその程度において。
圧倒的に支持する人がいる一方、なにか違うと感じている人がいるということにおいて。
理屈は確かにあっているという、その「正論」において。
自信が表情に出ているというその程度において。
圧倒的に支持する人がいる一方、なにか違うと感じている人がいるということにおいて。
2009年10月17日
朝のテレビ
朝、いつもの癖で日本テレビをつけたら、元巨人の宮本が出ていた。
嫌だったので新聞のテレビ欄を見て、面白そうなのでTBSに変えたら、大橋巨泉が出ていた。
嫌だったのでNHKに変えたら、ハンセン氏病患者の生活の話をやっていた。
嫌だったので新聞のテレビ欄を見て、面白そうなのでTBSに変えたら、大橋巨泉が出ていた。
嫌だったのでNHKに変えたら、ハンセン氏病患者の生活の話をやっていた。
2009年10月16日
空間感覚
なんで車をぶつけたのだろうと考えた。
いつも家のカーポートを左折して出るのだけれど、大丈夫、余裕あると思って曲がったら、ぶつかってしまった。自信満々で曲がったのだけれど。
毎日のようにやっている事をしたのだけれど、出来なかった。
これは、空間感覚が衰えたのだと思う。角が歩を飛び越しちゃうみたいな、錯覚というようなものではない。
決まり文句のような歌謡曲のフレーズを「いいなあ」なんて思うのも、空間感覚の衰えかもしれない。
いつも家のカーポートを左折して出るのだけれど、大丈夫、余裕あると思って曲がったら、ぶつかってしまった。自信満々で曲がったのだけれど。
毎日のようにやっている事をしたのだけれど、出来なかった。
これは、空間感覚が衰えたのだと思う。角が歩を飛び越しちゃうみたいな、錯覚というようなものではない。
決まり文句のような歌謡曲のフレーズを「いいなあ」なんて思うのも、空間感覚の衰えかもしれない。
2009年10月15日
車
車をぶつけた。
ぶつかるところをサイドミラーで見ていた。
車体がへこんでいく音を聞いていた。
ぶつかるところをサイドミラーで見ていた。
車体がへこんでいく音を聞いていた。
他人のままで
他人のままでいられたら よかったものを もうおそい
光るのは指輪だろうか まぶしくて顔をそむけた
遅すぎた恋だから 命をかけてくつがえす
光るのは指輪だろうか まぶしくて顔をそむけた
遅すぎた恋だから 命をかけてくつがえす
2009年10月14日
砂屋
夢を見た。
通りを歩いていると、向こうから、古いたらいや、火鉢や、いろんな家財道具をかかえた人が歩いてくる。
みんな古いけど価値のありそうなもので、何があったんだろうと思う。
よく知っている画廊の女主人と出会ったので、何があったのか聞いてみる。
向こうに古い家があるのだけれど、水道管がもう壊れて使えなくなり、家を改築するのだという。その家は江戸時代のもので、江戸時代の水道管だから壊れてしまったのだという。
そこの家の人は、家をもう改築するから、中の家財はみんな欲しい人にあげると言っているのだそうだ。
僕もその家に行ってみることにした。
そこは「砂屋」という商家で、何を売っていたのかはわからない。でも京都の町屋風の建物で、間口は狭いけど奥行きは相当ありそうだ。
僕も何か欲しいと思ったけれど、来たのが遅かったようで、家の中には何も残っていない。とても残念だった。
家の中に入ると、すぐコンクリートの床のようになっていて、それがなだらかに上の方につながっている。
それを這い上るように上がっていくと、三階の高さまで来てしまった。
そうか、この家の人は、古道具を処分するとお金がかかるから、ただでみんなに持って行って貰ったのだ。みんな古いものだから喜んで持って行って、すっかり家の中が片付いてしまった。頭がいいなあと思う。
しばらくしてその家を通りかかってみると、いつの間にかそこは、とんこつラーメンの店になっていた。
3人の屈強な男達が働いていた。
その3人は、みんなランニングシャツを着ているのだけれど、太い二の腕にみんな大きな入れ墨をしていた。
その入れ墨は、大きく滲んでしまっていて、何が描いてあるかわからないような、黒い染みのかたまりのように見える。
僕はとんこつラーメンは好きだけど、この店に入るのは何か怖いような気がして躊躇している。
通りを歩いていると、向こうから、古いたらいや、火鉢や、いろんな家財道具をかかえた人が歩いてくる。
みんな古いけど価値のありそうなもので、何があったんだろうと思う。
よく知っている画廊の女主人と出会ったので、何があったのか聞いてみる。
向こうに古い家があるのだけれど、水道管がもう壊れて使えなくなり、家を改築するのだという。その家は江戸時代のもので、江戸時代の水道管だから壊れてしまったのだという。
そこの家の人は、家をもう改築するから、中の家財はみんな欲しい人にあげると言っているのだそうだ。
僕もその家に行ってみることにした。
そこは「砂屋」という商家で、何を売っていたのかはわからない。でも京都の町屋風の建物で、間口は狭いけど奥行きは相当ありそうだ。
僕も何か欲しいと思ったけれど、来たのが遅かったようで、家の中には何も残っていない。とても残念だった。
家の中に入ると、すぐコンクリートの床のようになっていて、それがなだらかに上の方につながっている。
それを這い上るように上がっていくと、三階の高さまで来てしまった。
そうか、この家の人は、古道具を処分するとお金がかかるから、ただでみんなに持って行って貰ったのだ。みんな古いものだから喜んで持って行って、すっかり家の中が片付いてしまった。頭がいいなあと思う。
しばらくしてその家を通りかかってみると、いつの間にかそこは、とんこつラーメンの店になっていた。
3人の屈強な男達が働いていた。
その3人は、みんなランニングシャツを着ているのだけれど、太い二の腕にみんな大きな入れ墨をしていた。
その入れ墨は、大きく滲んでしまっていて、何が描いてあるかわからないような、黒い染みのかたまりのように見える。
僕はとんこつラーメンは好きだけど、この店に入るのは何か怖いような気がして躊躇している。
